コーラがなんとうまいです。干あがった体中にしみこみます。
きようも30キロほど。ブドウ畑の間を、ただただ歩いて、ナヘーラ着です。
9日目も古都・ナヘラまで30kmほど。これくらいの距離は慣れてきた。
大きな貯水池に野鳥の姿が。
この日も乾ききった。コーラがうまかった。
なだらかな坂道を下って次の村に向かった。
ナヘラでは簡単ピザで夕食にしました。お相手は、ちょっと違うものをとサングリアでした。周りがみんな飲んでいて、名物だったのかもしれません。赤ワインがベースですが、さっぱりとしていて、火照った体らにぴったりでした。
グラスにプリントされた規定量の50CLのラインをオーバーしています。合格でした。CLはセンチメートル・リットルの略です。50CLは500MLと同じことです。日本では使われない単位でした。
隣の席も、大の男がみんなサングリアでした。
ストローが2本というのは微妙です。
ナヘラのレストランのテラスでいつものように独りでサングリアを飲み、ピザをかじっていました。そこに、ふみさんが独りで歩いてきました。「よかったら一緒する」と呼び込みました。もう夕食は済ませていたそうで、ビールを頼みました。
話し相手ができて、楽しい夕食になりました。東京の私立大学の4年生でした。就職も決まり、もうしばらくは巡ってこないであろう長い休暇を、だれにも頼らずに独りで旅したかったそうです。
ふみさんと初めて出会ったのはスタート地点のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーのドミトリーのちょっとジメジメとした屋内洗濯場でした。翌日からの巡礼を前に慣れぬ手つきでその日、着ていたTシャツや下着を洗濯して、ロープに吊るしていました。後からやってきたふみさんも同じことを始めました。わたしの娘よりずっと若いお嬢さんが、目の前でその下着を洗い、すぐ近くのロープに干しました。ちょっとどきりとした瞬間でした。
「食事、自炊するのでいっしょに食べますか」。親切にも誘ってくれましたが、わたしは近くのレストランに出かけました。
次の日は、ピレネーを越えて、ロンセスバージェスの1軒だけの宿泊施設である修道院アルベルゲに泊まりました。1時間ほどするとふみさんもやって来ました。顔を合わせるなり、「ああ、疲れた。バテました」と話しかけてきました。
巡礼2日目のスブリでは別のアルベルゲでしたが、村の通りで出会いました。「台湾人とオランダ人の3人で歩いているの」と、元気そうでした。
その程度の会話でしたが、この巡礼で最初に親しくなったペルグリーノがふみさんでした。
13日目。アタプエルカの峠にある木製の十字架を通り過ぎると、カステージャ地方が一望できる見晴らしポイントがありました。カメラを構えていると、ふみさんが後ろから声をかけてきました。ブルゴスまでの暑くて長い道を話しながら下りました。
その前後にも何回も出会い、並んで歩きました。独り歩きの巡礼ですが、1日に歩く距離はよく似ています。縁がある人とは何度も顔を合わせることになるのです。「カミーノ・マジック」という呼び方もあります。
オレンジ色の目につくザックの女性が前を歩いていると、ふみさんかなと思わず速度をあげたこともあります。2週間も独りで歩いていると、さすがに人恋しくなっていたのでしょう。
でもいつが最後だったのか。若くて元気なふみさんは先に行ってしまい、巡礼の中盤以降には、もう会うことはありませんでした。
一期一会といいます。その言葉通りに、偶然知り合った人に何度も出会い、「またね」のつもりがいつの間にか「さようなら」になってしまっていて、再び顔を合わす機会がなくなっていることもあるのです。
ワインがおいしいラ・リオハ州に入りました。ログローニョの夜です。
ピンチョス、ピンチョスというわけで、なには差しおいてもシャンピニオン(マッシュルーム)のピンチョスがうまい店へ。
注文を聞いてから向こうで焼いてます。うまいはずです。
ネットでも紹介されていた店です。わざわざ探したかいがありました。
お次はバカリャオ(タラ)のクロケット(コロッケ)です。
リオハワインといただきます。
3杯目はこちら。たたきです。胡麻油がきいた韓国風味付けですが、ワサビもついていて、今夜の最高です。
3杯目はちょっと高かったです。あとの2杯はどちらも1.8€でした。
バールは、はしごするのが流儀です。やっとオープンする店が増えてきました。夜はこれからです。
9月になった。今月はずっと歩いて、サンティアゴ・デ・コンポステーラ到着は月末30日の予定。先は長い。
この日も変化のない道を30kmほど。ただただ前進した。
朝日に延びる影は長い。こんなに足が長かったかな?
前の村を通り過ぎて、次の村が見えるまで10kmほどは何もない。そんなのがざら。
昼飯はトルティーヤ。スペイン風オムレツで、ポテトが入っている。これはピンチョスでパンに載っている。
ワインがおいしいラ・リオハ州に入りました。ログローニョの夜です。
ピンチョス、ピンチョスというわけで、なには差しおいてもシャンピニオン(マッシュルーム)のピンチョスがうまい店へ。
注文を聞いてから向こうで焼いてます。うまいはずです。
ネットでも紹介されていた店です。わざわざ探したかいがありました。
次はバカリャウ(タラの塩干)入りのクロケット(コロッケ)です。
リオハワインといただきます。
3軒目の3杯目はこちら。たたきです。胡麻油がきいた韓国風味付けですが、ワサビもついていて、今夜の最高です。
3杯目はちょっと高かったです。あとの2杯はどちらも1.8€でした
バールは、はしごするのが流儀です。やっとオープンする店が増えてきました。夜はこれからです。
ワインがおいしいラ・リオハ州のログローニョです。シャンピリオン(マッシュルーム)のピンチョスははずすことができません。スマホ片手で探し当てたバルです。料理はそれしかありません。「ひとつちょうだい」と頼むと、鉄板で楊枝に突き刺さしたシャンピリオンを焼いてくれました。裏返した傘の部分はオイルで満たされてます。一気にほおばりました。うまい。いっしょに飲んだ赤ワインと込みでお代はたったの1・8ユーロ、200円ほどです。バルをあと2軒、はしごしましたが、全部で8ユーロほどでした。これで大満足の夜でした。
この夜に泊まったのは、ペンシオンです。
バス・トイレは共用ですが、ゆったりとした個室のベッドで、ゆっくりと眠りました。1泊25ユーロでした。わずか5~6ユーロの公営アルベルゲ、10ユーロほどの私営アルベルゲよりは高価です。でも数日に1夜は、こんなペンシオンやオテル(ホテル)なんかにも泊まりました。二段ベッドのドミトリー(共用部屋)ばかりでは、おじさんは息がつけなかったのです。バス・タブがあるホテルをBooking・comでネット予約したこともあります。
ビールもワインもしこたま飲みました。ブルゴスで食べたモリシージャ、サリアの駅前レストランでその場でそぎ切りしてくれたイベリコ豚のハモン(生ハム)、大西洋にぶち当たったフィステーラで食べた魚介盛り合わせ…。どれも最高においしかったです。これ以上ない贅沢でした。といっても、出費の方はたかがしれてます。サラリーマン時代の夜のちょっと一杯と同じくらいの額で、二度と味わえないようなうまさを満喫しました。
巡礼定食よりはおいしいものを食べて、たまにはドミトリーの2段ベッドを敬遠して奮発した宿にも泊まりました。あとは贅沢をするところがありません。いくら金を持っていても、リムジンカーでは巡礼できません。歩くしかないのです。
人生のデットクスの極意に、触れた気分でした。