インスブルック 雪に咲くエーデルワイス

 インスブルックの南の山、パッチャーコーフェルまで上がりました。ロープウエーの山上駅(1965m)も雪の世界です。「アルペン植物園」も雪をかぶっていますが、入ってみるとなんとエーデルワイスが咲いているではないですか。
 マッターホルンの麓の山で自生しているのを見たことがあります。でも、雪をかぶっても凛として咲き続ける姿は感動です。オーストリアの国花になっているのもわかります。

 エーデルワイス、エンチアンとともに3大名花といわれるアルペンローゼは、ご覧の通り。エンチアンとともに咲いているのが見たいです。

 花の名前はゆっくりと調べます。

 寒さに耐えています。

 麓の村、イグルスはインスブルック冬季五輪でリュージュやボブスレーの会場でした。スキーリゾートになっています。

インスブルック 雪のハーフェレカーへ

 インスブルックの北にそびえるノルトレッケ連峰(「北の鎖」の意味)に上りました。
 ハーフェレカーという標高2334mの展望台へは、最新式ケーブルカーのフンガーブルクバーンと2つのロープウエーを乗り継ぎました。
 王宮の近くにある地下駅で待っていると、まるで地下鉄のように折り返しの車両がやってきました。これがケーブルカーでした。

 出発すると、水平の地下軌道を走り、イン川の鉄橋を渡り、途中駅に止まりました。地下で下ってきた車両とすれ違い、やっと急な登りになりました。

 次はロープウエーでした。大きなカーゴでした。すでにシーズンオフなのか、客はまばらでした。

 山肌には雪が積もっていました。残雪ではなく、新雪であることがわかりました。

 鋭い岩峰が目の前でした。

 2つ目のロープウエーに乗り継いでハーフェレカーに着きました。
 外は真っ白な雪の世界でした。視界は数十メートルほどでした。

 奥さまは早々にリタイアしました。正解でした。

 わたしはもう少し歩きましたが、積雪は20センチほどにも達していました。それ以上、進むのは、ショートカットのウォーキングシューズではとても無理でした。
 先へ進んでいったのは、装備をしっかりとした登山者だけでした。

 展望台からは街を見下ろそうにも、雲ばかりでした。

 ホウホウの体ですぐに逃げ出しましたが、下ってくるにつれて視界が広がりました。

 アルプと呼ばれる牧草地帯にはヒツジ(?)が放し飼いされていました。

 最初の乗り継ぎ駅、フンガーブルクまで下ってくると、やっとインスブルックの街が見下ろせました。

 泊っているホテルや、旧市街がよく見えました。

 向こうの山すそには、インスブルック五輪で使われたスキーのジャンプ台がそびえていました。

インスブルック マルクト・ハレのマルガリータ

 インスブルックでの「きょうの昼飯」です。
 マルクト・ハレは新鮮な食材が並ぶ屋内市場です。真っ赤なトマトやザクロの実ではないかと思える小粒の赤い粒、旬を迎えるボルチーニ茸なんかが並んでいました。画像は改めてー。
 市場の一角で焼き立てのマルガリータをいただきました。2人で1枚で十分でした。「シェアする」というと、初めから2枚に切ってサーブしてくれました。トマトソースがちょっと塩辛いですが、パリッと焼けた皮がうまかったです。

 お決まりのビールは「ノーマルビル」と頼んだ「Radler/sauer」でした。サーブしてくれた兄ちゃんを見ていると、ビンから注いだビールを炭酸水かなにかで割っているようでした。さっぱりとした口当たりで飲みやすかったですが、アルコール分は薄めでした。

 La Piccolaというマルクト・ハレの一角にあるピザの店でした。

 マルクト・ハレを歩いていて、最初に足を止めたのはこちらでした。
「Sturm」は、ウィーンのホイリゲでこの時期にしか出回わらないワインになる前のブドウ・ジュースのようなものです。口当たりはいいですが、それなりに回ります。

 ゴクリと奥さまもご満悦でした。

 1リットル瓶も並んでましたが、さすがにこれをホテルに持ち帰ることはありませんでした。

インスブルック 絶景の現実

 インスブルックの北の山、南の山へケーブルカーやロープウエーで上りました。一日、遊び疲れてホテルに戻ってくると、最高の青空が広がってました。
 昨日、「予感」を撮影したイン小橋にもう一度、行ってみました。「現実」は予想通りでした。

 イン川の上流にもきれいな山がそびえていました。

 午前中に上った北側の山です。視界はなく、足首を超える積雪に逃げ帰ってきたのがウソのようです。

インスブルック 絶景の予感

 小雨になりました。ホテルで一休みした後、散歩に出ました。
 雲の切れ間から、すぐ近くに白い雪をかぶった鋭い岩峰がのぞいていました。

 北側の山にはケーブルカーがつながっているはずです。

 南側の山々は、穏やかな山容ですが雪は積もっています。

 イン川にかかる小橋の上は、どこにでもある光景でした。

 イン川沿いの散歩道を、坊やもワンコも散歩していました。
 昼間には、雨の中でブランコを漕いでいる親子もいました。
 明日の天気予報は「晴れ」です。どんな光景がベールを脱ぐのでしょうか。目覚めるのが楽しみです。

雨のインスブルック 黄金の小屋根の響き

 チロルの秋を楽しもうとインスブルックにやってきました。ところが雨、降りしきり、気温は10度ほどとまるで初冬でした。傘をさし、セーターに雨具を着込んで旧市街を巡りました。
 旧市街の象徴となっている「黄金の小屋根」です。張り出した出窓(エルカー)の上に黄金色に輝く小屋根は、皇帝・マクシミリアン1世が広場で行われる行事を見物するために15世紀末に作られました。
 お隣の「市の塔」から見下ろしていると、運よくそこからブラスが鳴り渡りました。

 「黄金の小屋根博物館」に入ると、目の前でブラスが奏でられていました。

 トランペットにトロンボーンなど、みんな上手です。
 石の建物で奏でているせいか、よく響いていました。アマチュアのボランティアだと思わせましたが、吹いているほうも気持ちよかったはずです。

 最初に見下ろしていた市の塔の時計も見えました。

 演奏が終わった後で、小屋根から見晴らしを確認しました。皇帝が見たのと同じ光景です。

 小窓の天上には、人間など精密な彫刻が施されていました。

 

ブラスの音声が入った動画も撮影しました。

アムステルダムを散歩する

 アムステルダムに着きました。スキポール空港の入国手続きで待たされましたが、空港前のホテルにチェックイン。さっそく鉄道で20分ほどのアムステルダムに向かいました。
 中央駅からトラムに乗り、向かったのはアムステルダム・コンセルトヘボウでした。これがホールの名前であり、シンフォニーオーケストラの名前です。
 2015年にやってきたときは「I Amsterdam」のシンボルがあったあたりからホールを臨み、思い出に浸りました。指揮者のマリス・ヤンソンスの最後のシーズンのコンサートでした。

 シンボルのハープが西日に輝いていました。
 まだ秋の音楽シーズンは始まっていないようでした。
 

 振り返れば国立ミュージアムです。レンブラントの「夜景」やフェルメールが並んでいます。

 東京駅のモデルになったともいわれるアムステルダム中央駅です。夕方の通勤ラッシュとあって、混雑していました。

 駅前からは「5番」のトラムに乗れば行けるはずでした。
 ところが車掌に聞くと、「5番はここまで来ないよ」。記憶違いだったのか、路線が変更になったのか。12番のトラムに、1時間チケットを買って乗り込みました。

 運河の街です。自転車の街です。車窓からの風景です。

 「ここから歩いたね」と、流れる懐かしい風景に声を上げ続けました。

1EUR=120YEN ウィーンでのんびりと

 「ウィーンでのんびりと」の旅に出発します。
 ウィーン1カ月滞在が夢でした。そこは思うに任せず、半月ほどの旅になりました。
 リタイア後には、スペイン巡礼45日の一人旅には出ました。でも、奥さまとゆっくりと旅するのは久しぶりです。夫婦でのヨーロッパは8回目(わたしは11回目)になります。
 このところ続いていたユーロ安も、5日には一服したようです。わたしは2日に当座の現金支出のために高槻の銀行窓口でユーロを購入しました。当日の外為は1EURが118円台でした。それに手数料が加わって120円ちょっとでした。
 1EURがたった100円だったときもあり、140円したときもありました。ちょうど中間です。
 さて、旅の方は「ウィーンでのんびりと」といいながら、なかなかゆっくりとはしておれない性格です。まずはインスブルックに飛び、チロルの秋を楽しみます。

 ウィーンの楽友協会(ムジーク・フェライン)では、ベートーベンの第9を聴きます。
 王宮礼拝堂の日曜ミサも聴きます。ここではウィーン少年合唱団が天上からの歌声を聞かせてくれます。
 最後のベルリンでは、ベルリンフィルハーモニーの響きに浸ります。

高槻 木曽路高槻店の松花堂弁当

 高槻のとあるかわいい雑貨店を、「メルラのバイリンガル英会話」というYouTubeプロジェクトの企画で取材しました。新聞記事を書くための取材は現役時代の仕事でしたが、動画も含めた画像取材はあまり経験がなく、それだけに新鮮でした。
 昼ご飯は、近くの「しゃぶしゃぶ日本料理 木曽路 高槻店」でいただきました。
 「松花堂弁当」(1296円)は、リーズナブルで安心して食べらる料理です。

 刺し身、天ぷら、肉と揚げ出し豆腐と盛りだくさんです。

 木曽路 高槻店
 072-661-2013
 高槻市春日町16-1

 雑貨店オリジナルのTシャツのモデルになってくれた店主の子どもたちです。

 店頭には、消しゴムでつくったハンコが並んでいました。
 これから編集にかかりますが、You Tubeへのアップまでにはしばらくかかりそうです。