「これってマロン?」と、隣に座ったおじさんに聞いたら、「食べたらダメ」と返ってきました。皮がもっと茶色くなって、イガイガも長くなってからだそうです。
何の実かと気になつてました。巡礼道を日射しから守るように、あちこちに植えられてました。
やはりマロン。ということはマロニエです。
アルベルゲの前庭です。ここで日を浴びながら、のんびりとした午後を過ごしました。
国道の反対側にあるアルベルゲから、顔なじみのイスラエル人が「おーい、こっち」と手を振ってくれました。見過ごすところでした。次はわたしがKさんに手を振りました。あとからSさんもやってきました。
ビジャダンゴス・デル・パラモのアルベルゲで、「リタイア3人組」が初めてそろいました。
Kさんとはエステージャで出会い、一緒に夕飯を食べに行きました。寒風吹きすさぶレオン大聖堂の前で久しぶりに会うと、なんと髪の毛が短くなっていました。途中で散髪したのだそうです。異国で散髪とは、巡礼に出発する以上に勇気のいりそうな行動に出たものです。
Sさんとは、巡礼2日目のロンセスバージェスで顔を会わせて以来、メセタの大地で何度も出会ってました。レオンの街角でも、雑踏の交差点でばったり。「寒いですね」と声を掛け合いました。前に書いた弘前大くんもそうですが、縁とはそういうもののようです。
Kさんはそのとき62歳。金沢出身で、東京で生協関係の仕事をしてこられました。わたしは「似顔絵師」と名づけました。
持ち歩いているタブレット端末のiPadで隣に座った女性の似顔絵をささっと描きます。「これ、どう?」と見せると、身長190センチのいかついおっさんが知らない間に描いたかわいい自画像にびっくりし、喜ばないはずがありません。すかさず「メールで送るから」とアドレスを聞き出してしまうテクニックは、ちょっとまねできません。日本の繁華街でナンパしようと女の子に声をかけている若者も、これくらいの技術は身につけたらどうでしょうか。もっとも、Kさんの目的は、同じペルグリーノとしてお近づきになるためだったはずです。描くのは女性に限るわけではなくて、わたしも1枚、描いてもらいました。
「同じ年の友だちが次々と亡くなって、定年には早かったけれど、仕事を辞めました」ということでした。
Sさんは65歳。東京生まれで、今も東京。複写機・レーザープリンターの大手メーカーで「開発部門以外はすべての部署で働いた」という企業戦士でした。料理も得意で、カストロヘリスで同宿したときは、銀シャリを鍋で上手に炊いてくれました。観光でスペインにやって来たことはあるそうです。
リタイアしてひと区切りついて、というのがカミーノ。クリスチャンではない点でも、3人とも一致していたようです。もっと深いわけはあったのか、なかったのか。お互いにその点を深く尋ね合うことはありませんでした。
その日の夕食。Sさんが偵察してきた近くのレストランで乾杯しました。巡礼定食からメーンの3品は違うものを選んでシェアーしました。ボインの素敵なウェイトレスのサーブで、リタイア3人組は機嫌よくグラスを重ねました。
Sさんは2年後のちょどいま、「北の道」という海岸沿いの巡礼路を歩いてサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着されたばかりです。
【追記】
Kさんは、地元・金沢のひがし茶屋街近くにある赤い壁が印象的なおば様宅で、「カフェ&バル くわじま」を開いておられます。「人生の楽園」(テレビ朝日)にも登場され、あれこれと手を伸ばしてうらやましい限りの毎日を送っておられます。
レオンを出発してアストルガまでのほぼ中間にあるビジャダンゴス・デル・パラモまでの20km超が、この日のステージ。ほとんどが国道N-120に沿って進んだ。
やっと日の出。いつものように長い影。
リタイア3人組がこの日のアルベルゲでそろった。一緒に夕食。まずは乾杯。
レオンは今夜も雨です。傘をさして夕飯に出かけました。7時ではまだ閉まっているレストランが多くて、巡礼道そいのカフェで、定食を食べました。
ラタトゥイユです。一口目は、濃厚味がおいしかったです。でも、ヘンです。手作り感がありません。先日、アルベルゲでチンして食べたレトルトとよく似た味です。
セグントのラザニアがきて、確信に変わりました。
チーズは尾を引かず、パスタはねっとりとしています。
メロンは当たり前にメロンでした。
これで10€。ワインはグラス一杯だけこみで、追加料金は1.3€でした。
おいしいレオンの料理が食べたければ、それなりのレストランに行けば良いだけのことでした。
さて、あと320キロ。明日から後半戦が始まります。
レオンの休日です。
同じオステルに2連泊します。夜中に起きてましたが、またぐっすりと寝こんで目を覚ますと10時前でした。
朝食付きです。
コーヒーにパンだけです。でも十分です。
たっぷりとミルク、それに砂糖を入れて、カフェ・コン・レチェにして飲みました。
2泊で50€の格安オステルです。
言葉は通じませんが、気の良いおばちゃんが世話をしてくれます。チェックイン直後に、洗濯できるか聞いたら、「洗ってあげるから、出しなさい」、のようなこと。お願いすると今朝、きれいに折りたたんで、笑顔と共に帰ってきました。
今朝のレオンは、相変わらず寒そうな曇り空です。これでは大聖堂のステンドグラスも、きれいに輝きません。雲行きと相談して、観光に出かけます。
緑色の十字の看板をあちこちで見ました。大都市では、日本のコンビニエンス・ストアのようにあたりまえに存在しています。ファーマシア。薬局です。スペインの人って、ずい分と薬が好きなんだと感心しました。
日本のドラッグストアとは違って対面販売です。白い上着を着た薬剤師が待機していて、客はあれこれと相談します。ここでもお話し好きのスペイン人の面目躍如で、やりとりは延々と続きます。慌て者のわたしは、先客にしびれを切らして一度は逃げ出しました。
ところが、そうも言っておれない事態に遭遇しました。レオンを前に、右足首がチクり、チクリと痛くなりました。レオンのオテルのベッドで、治療法をゆっくりとネット検索しました。そこで見つけたのが足首へのテーピングでした。YouTubeには、テープの使い方がていねいな画像で紹介されてました。
意を決してファーマシアに向かいました。
「Please give me a fix tape.」と痛い足首を指さしつつ、つたない英語で訴えました。応対してくれた薬剤師は、サポーターやらテープやらを5品ほど持ってきてくれました。そのなかからひと巻きのテープを取り上げて、「more wide type」と指を広げて頼むと、思い通りの太いテープを出してくれました。2ユーロほどでした。これが運動選手などがよく張っているテーピング用のテープかどうかはよくわかりませんでした。
次の朝。足首にテープを巻いてみました。これで関節が固定されたようです。びっくりするほどの効果があり、歩行がぐっと楽になりました。さらに数日で、痛みはウソのように消えてしまいました。
サリアを前にして、今度は反対側の左足が痛くなりました。右足には効いたテーピングも効果がありませんでした。持っていた湿布シートも最後の1枚となったので、ファーマシアに駆け込みました。「これと同じのちょうだい」と。薬剤師はシートを手に臭いをかいだり、同僚を呼んで「これ何だかわかるか?」とでも話し合っているようでした。結論は「ない」でした。スペインには湿布シートは存在しないという、わたしにとっては衝撃の事実が判明しました。
帰国後、まだ痛かったので整形外科医に見てもらいました。レントゲンでは異常は見つからず、何らかの菌が足首の関節辺りで炎症を引き起こしているのだろうということでした。「外傷はなくても、過度の疲労で足先の水虫菌が活性化して炎症を起こすことだってありますよ」。指示された抗生物質を数日間、飲み続けていると、やがて炎症は収まり、痛みもひいていきました。
抗生物質なら予備薬として持っていたのでした。消炎鎮痛剤のつもりで飲んでおれば、ちょっとは楽だったのかもしれません。でも素人にそんな知識はなく、宝の持ちぐされでした。
レオンで休養日をつくった。
オテルのベッドで10時半まで寝て、モーニング。「レオンの休日」に書いた。この日も、天気はイマイチだ。
街に出てみて、うれしい光景と出会った。シトロエンC4。しかも赤、正確にはルージュ・バビロンが止まっていた。カッコいい。わたしのマイカーと色まで同じのは、ニッポンではもとより、C4が珍しくなかったスペインでも初めて見た。