「京七口(ななくち)」というのは、京に上る街道の京への入り口の総称です。
これまでに歩いてきた伏見街道には伏見口、竹田街道には竹田口、鳥羽街道や西国街道には鳥羽口、山陰道には丹波口、鯖街道の若狭街道には大原口がありました。時代によってその数は異なりますが、「五近七道」というあたりから七口となったようです。必ずしも「七」はsevenではなく、someのようです。鎌倉時代後半から使われてきたようです。
後に豊臣秀吉が、都改造の一環として、都の周囲を囲む「御土居」を築きました。その土塁に開いた「口」が、「七口」という表現を広げたようです。
そのひとつが「長坂口」です。その存在を、最近知りました。連休の谷間ですが、休みにして、さっそく歩いてみました。
若狭から鯖を運んだ鯖街道のひとつに、若狭・小浜から名田庄、美山、周山を経て高雄から京都に至るのが周山街道です。その途中から杉坂に入り、京見峠(長坂峠)を越えて鷹峯に下り、長坂口に至るのが長坂越です。
12:49=長坂口のあったあたり(京都市北区旧土居町)に「御土居」の一部が残っています。台形の断面の盛り土の右が洛外、左が洛中です。ここが、今回のウォーキングのゴールでした。