ルッコラをドサリと載せただけのペペロンチーノです。
このところマイブームがつづくルッコラです。朝食では、ちょっとほろ苦い葉っぱと生ハムをトーストに載せて食べ続けています。マヨラーですからそちらも欠かせません。
冷蔵庫を開けたら目に止まり、独り食べる昼飯のネタにまでなってくれました。
刻むものも少なくて、チョー簡単です。
山友に誘われて久しぶりの山歩きでした。
京都北山の最も奥深い山々の1つで、隣の皆子山に次いで府内第2の高峰である峰床山(970m)に登り、高層湿原の八丁平の木道を歩きました。
峰床山は、わたしが中学校のワンダーフォーゲル部で目指した山でした。当時は一帯がクマザサに覆われていて、ブッシュの連続。何回かトライしましたが、ピークには達しなかった幻の山でした。その後、クマザサはすべて枯れたり、鹿に食べ尽くしてしまわれました。現在は見晴らしの良いピークで360度のパノラマを眺めました。
ハイカーともほとんど出会わず、静かな紅葉を楽しみました。
カサコソと落ち葉を踏んで歩きました。かつてのブッシュ連続のイメージとは大違いでした。
八丁平の木道を進みました。そう快な気分でした。
貝原益軒が記す江戸時代の京都ツアーガイドブック「京城勝覧」を巡る第十三日です。「鞍馬山にゆく道をしるす 京より三里あり」です。
鞍馬や貴船は、いく度となく訪れたスポットです。鞍馬街道を都まで歩いたこともあります。でも、おもしろいものを見つけました。鞍馬まで走る叡山電車(叡電)の「えいでん麺 京都一乗寺らーめん切符」です。1700円で叡電が1日乗り放題のうえ、一乗寺ラーメン街道の7店のうちで好きなラーメンを食べることができます。
展望電車「きらら」で鞍馬までやってきました。きららは、第十一日に比叡山に登った雲母坂からとられています。デオ900系には「メープルグリーン」と「メープルオレンジ」の2編成が走っています。
二ノ瀬-市原間にある「もみじのトンネル」です。紅葉のシーズンには、電車がゆっくりと走ってくれます。
真っ赤とはいえませんが、ずい分と色づいています。
昼飯は、ラーメン激戦区の一乗寺で、もはや古参となった「中華そば 高安」でいただきました。
観光列車「ひえい」で、比叡山の登山口・八瀬にも回りました。
2路線計14.4キロの叡電ですが、全線踏破しました。
続きを読む 京城勝覧を巡る 第十三日 「らーめん切符」で鞍馬へ
京都の「たぬき」です。昨日、奈良で吉野葛を買ったばかりです。さっそくの登場です。
大阪で「たぬき」といえば、きつねそば、つまりは揚げがのったそばのことです。ところが、京都ではあんかけのうどんです。刻んだ揚げと九条ネギがトッピングされています。薬味は七味ではなく、おろし生姜です。たっぷりとのせます。
寒い日でも、これを食べると体がホカホカと暖まります。
昆布、かつお、イリコをボトルに入れて冷蔵庫に常備している出汁を使いました。これさえあれば後は簡単です。
自分の手だけは足らず(?)、奥さまの応援を得ました。
冷凍のうどんと、味付けして冷凍してある揚げを使いました。もちろん主役は吉野葛です。
「大和国大宇陀町 森野藤助謹製」、「大日本葛粉製造元祖 創業四百五十年」と書かれています。
森野吉野葛本舗
0745-83-0002
奈良県宇陀市大宇陀上新1880
奈良国立博物館で開かれている第73回正倉院展を観ました。昼ご飯は、奈良町を南の方まで歩いて「鹿の舟 竈 (かまど)」でいただきました。
メニューは多くはなく、ほとんどの人が食べている「季節の天ぷら定食」(1800円)です。
エビやイカも登場していますが、その姿をドーンと晒してはいません。エビはすりおろしてレンコンにはさまれ、イカはシイタケの傘の内に隠れています。サクッと揚がったのを、塩だけでいただきました。
むかごの天ぷらって、当然ながら初めてです。
「本日の5品」です。
小鉢は、ほうれん草のゴマ和えと大根、厚揚げがじっくりと炊きあげてあります。
炊き立てのごはんはお代わりを頼んで、しっかりと2膳分いただきました。もう満腹です。
目の前の竃で炊いてます。おいしいはずです。
奥さまは「天茶セット」でした。天ぷらは同じです。天ぷら茶漬けにする天つゆと薬味がついています。
真ん中に大きなカウンターをめぐらせた明るいスペースです。
反対側は特産品売り場になっています。奥さまは吉野葛をお買い上げです。
わが家では、冬場の「たぬきうどん」に必須です。京都のたぬきうどんは、あんかけうどんの上に刻んだ油揚げと九条ねぎが載っています。
鹿の舟 竈
0742-94-5520
奈良市井上町11
隣接して「鹿の舟 囀 (さえずり)」(カフェ)と「鹿の舟 繭(まゆ)」(案内所)があります。
庭の十月桜が雨滴を溜めていました。
正倉院展が開かれている奈良国立博物館です。
晴れ上がったり、土砂降りの雨になったりと、安定しない天気でした。
コロナ以来、入場は予約制となり、待たなくても入れるようになりました。
チケットはネットで予約、コンビニで発券されました。
歩いて伊勢参りは、京都・観月橋からスタートして、7回で宇陀・榛原に達しました。でもまだ全行程の半分といったところです。
わたしが歩いている伊勢本街道は、大阪・玉造の玉造稲荷神社が江戸時代の玄関口でした。そこに「起点」と記した碑が建っています。
遅まきながら訪ねました。伊勢まで約170キロです。
江戸時代のお伊勢参りの風景が錦絵になっています。
社伝によると、垂仁天皇18年(紀元前12年)に天皇によって創建されました。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地、玉作岡に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承があるそうです。
大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家、なかでも豊臣秀頼と縁が深いです。この石鳥居も秀頼に寄進されたものですが、阪神大震災で崩壊、現在は上部だけが残っています。
秋田実の笑魂碑というのもあります。
上町台地の北端にあります。この辺りは坂が多いです。
玉造稲荷神社
大阪市中央区玉造2-3-8
10分ほど歩いたところにある玉造稲荷神社分社です。
こちらには浪花講発祥の地の新しい碑が建っています。浪花講は、伊勢参りなどの旅を安全なものにしようと文化元年(1804)に立ち上げられました。現在の協定旅館のルーツとされます。優良加盟店では「ぼったくり禁止」「飯盛り女を置かない」「賭博禁止」などの規制を設け、目印に浪花講の看板を揚げさせました。
道標には、なら、伊勢、暗峠の手前にある大師堂と刻まれています。
浪花講のかわいい御守もあったようです。
わたしが玉造稲荷神社に参ったのは、これが欲しかったからです。神社が発行している「伊勢参宮本街道行程図」(500円)です。国土地理院の2万5000分の1の地図に、伊勢までのルートが赤線で引かれています。
開いている榛原などの地図が、冊子のちょうど真ん中の22-23ページです。
榛原から先は、日帰りで区切ることはできません。途中にはコンビニ一軒ないような山道と田舎道が続くようです。
歩いて伊勢参りのその7です。山の辺の道を南下してきた大和路は、桜井から伊勢本街道に沿って東進します。JR三輪から歩き始めて、長谷寺を通り榛原まで13.6キロほどでした。
道中で「いせ」の文字と何度も出会いました。
長谷寺の紅葉を期待していました。しかし、五重塔はまだ緑の中に頭を出していました。
長谷寺の前にある茶屋で昼飯を食べて、拝観せずにUターンしました。
「いせ」が近づいてきたようです。