ベロラドの町を歩いていると、巡礼路上にまさに足跡が埋め込まれています。
誰のだろうとのぞき込んでみると、なんと俳優のマーティン・シーンでした。サンティアゴ巡礼の映画「The Way(星の旅人たち)」の主演です。このDVDを何度も見て、巡礼への思いをかきたてられたのでした。
大きな手と足です。
わたしも同じThe Wayを歩いています。
万国旗を眺めましたが、日の丸は見つかりませんでした。
ベロラードの町を歩いていると、巡礼路の石畳にいくつもの足跡がレリーフになって埋め込まれていました。大きな手と足でした。だれだろうとかがみこむと、添えられたサインは「マーティン・シーン」と読めました。
サンティアゴ巡礼をテーマにした米国映画「星の旅人たち」(原題は「THE WAY」)は、DVDを買って、何度も繰り返し見ました。
米国西海岸の眼科医がゴルフ場でプレー中に、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼に旅立った息子がピレネーで遭難死したことを知らされる場面から始まります。その眼科医である父親を演じていたのがマーティン・シーンです。
その父親が、疎遠になっていた息子の自分探しの旅を追体験するようにカミーノを歩き始め、ストーリーは展開します。偶然出会った3人の男女が絡んで巡礼は続きます。「さあ、人生の旅に出かけよう!」というキャッチコピーがついています。
映画で見たその人(シーン)の足跡と手形を見て、わたしもあの映画に出てきたカミーノを歩いているんだと、あたりまえのことに感動しました。
わたしが最初にカミーノを知ったのは、通勤帰りの大阪・梅田の書店でたまたま手にした一冊の本でした。「世界遺産 サンティアゴ巡礼路の歩き方」(日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会、世界文化社)はグラビア満載です。カミーノのルートから歴史、体験談、巡礼の手引きまでが記されていますこれがきっかけで、わたしもいつかはカミーノを歩こうと思い立ったのです。
カミーノの映画ではもう1本。「サンジャックの道」というのがのがあります。帰国後にレンタルビデオ店で探しました。こちらはフランス映画で、フランスのル・ピュイからサンジャン・ピエ・ド・ポーまでがメーンの舞台。遺産相続の条件として仲の悪い3兄弟がカミーノを歩く物語です。こちらのキャッチコピーは「人生ってすてたもんじゃない。」カミーノとは人生の縮図のようです。
今ではわたしの本箱に、何冊ものサンティアゴ巡礼に関する本が並んでいます。
ベロラードまで22.5kmのステージ。ラ・リオハ州からカスティージャ・イ・レオン州に入った。相変わらず黄色い変化のない大地を進む。
窓飾りがきれい。
ヒマワリが満開。巡礼路に近い花には、いたずらが。
ナヘラの町を出ると、すぐに辺りは真っ暗になりました。ヘッドライトの明かりを頼りに、黄色い矢印に沿って歩きました。
巡礼路には、巡礼のシンボルであるホタテ貝をデザインした道しるべや、モホンと呼ばれる石柱がいたるところにあります。さらに要所要所には黄色いペンキで矢印が描かれてます。これをたどっていくと、地図なしでもサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着できそうな気になってしまいそうでした。
その矢印を真っ暗ないなか道で見失ったのかなと不安になり始めたときです。背後からひとつのヘッドライトが追ってくることに気づきました。独りではないという安心感もあって、そのまま歩き続けました。
やがて空が白みだして、次の村に着きました。そこは巡礼路からは外れた村のようでした。後ろからついてきたヘッドライトの主は、なんと出発地のサンジャン・ピエ・ド・ポーの1晩目のオステルでわたしが眠った2段ベッドの上段にいた台湾のお嬢さんでした。
サンジャンのオステルはドミトリー(相部屋)でした。しかも男女の区別はありません。2段ベッドが2つ置かれた部屋で、上段がその彼女、もう1人はフランス人女性でした。日本でも山小屋やテント泊なら男女一緒もあたり前で過ごした経験はありますが、ちょっとどぎまぎとしました。
その彼女は、流ちょうな日本語で話しかけてきましたが、わたしの対応はどうだったのでしょう。初めてのドミトリーに緊張していたせいばかりではないはずですが、なんとなく打ち解けることもありませんでした。その後も、何回か話す機会はあったはずです。
巡礼路からは外れた村に着くと、彼女は流ちょうな英語で道を確認して、すたすたと新たな方向に独りで歩いていきました。
わたしは、やれやれと村のバルに腰を落ち着けてコーヒーを頼みました。ガイドブックを開け、やがてやってきた若い男性に「ここはどこ?」と聞き、やっと現在地がアレサンコという村であることを確認しました。
彼女とは、その後も顔を合わせる機会がありました。でも、「道を間違えてゴメン」と素直に謝れなかったのが、ちょっと心残りです。
長い巡礼路でしたが、道に迷ったのはあと1回くらいでした。そのときは、「Maps.me」というGPSを利用したスマホアプリのおかげで、リカバリー・ルートを見つけることができました。
サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダまで22kmほど。途中には村が2つしかないという単調な道の連続。ところが、ナヘラを出た真っ暗な道で、黄色い矢印を見失った。着いたのは巡礼路とは違った村。リカバリールートを歩いているうちに朝日が上った。
小麦畑が続く丘を超えた。
夕飯は、単品で頼んだローストビーフ。
ナヘラでは簡単ピザで夕食です。お相手は、ちょっと違うものをとサングリア。周りがみんな飲んでいて、名物だったのかも。赤ワインがベースですが、さっぱりとしていて、火照った体らにぴったりです。
グラスにプリントされた規定量の50CLのラインをオーバーしています。合格です。
CLはセンチメートル・リットルの略。50CLは500MLと同じです。日本では使われない単位。
隣の席も、大の男がみんなサングリア。
ストローが2本というのは微妙です。
ピザはカリッと焼いてあります。
四角いピザって、日本では珍しいです。
満足の顔です。その理由は-。
風海(ふみ)さんと飲んでます。サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの洗濯干し場で出会ったのが最初。数日ぶりです。日本語でゆっくりと話しました。ありがとう。