きょうもカンカン照りです。傘が役にたってます。
大阪のおばちゃんは、ママチャリに傘たてのクリップをつけてます。このおっちゃんは、「It’s simple」とかいって、ザックのショルダーにうまく固定してました。
ヒコーキ雲が青いキャンバスを切り裂きます。
メセタの大地を歩いていると、向こうに高い鉄塔が見えました。近づくと携帯電話の中継アンテナだと分かりました。こんなところにまで携帯電波が飛んでいました。
わたしの格安キャリアのSIMフリー・スマートフォンは、スペイン国内で使えるプリペイドSIMに差し替えていて、データ通信や国内通話が可能でした。
バルセロナに着いた夜、ホテルのフロントで携帯ショップを教えてもらいました。地図にプロットしてもらったショップの中で一番近かったVodafoneESに飛び込んで、通信容量1.5ギガ、国内通話付きのSIMを購入しました。15ユーロでした。若い店員が、チャチャとわたしのスマホにSIMを差し込み、設定までやってくれました。
あっさりとFacebookも更新されました。
ところが、ホテルに戻って設定を触っていると、ヘンにロックがかかって作動しなくなりました。翌日、サンジャン・ピエ・ド・ポーに移動する途中のパンプローナで時間がありました。バスステーションは新市街にあったので、辺りをやみくもに歩いていると、簡単にVodafoneESのショップが見つかりました。男性店員は、あれこれと調べ、最後にはVodafoneESの本部(?)にも電話して、SIMカードを初期化して使用できるようにしてくれました。料金として10ユーロを請求されましたが、「バルセロナのショップで買ったばっかりだ」とそのときの領収書を見せると、タダにしてくれました。
最初にトラブルこそありましたが、わたしのスマホはメセタの大地を歩いていようが、ほとんど途切れることなくインターネットとつながっていました。
オ・セブロイロの峠に登る前夜でした。足が痛かったので、初めてカミーノ・コモドという運搬業者にザックを運んでもらうことにしました。アルベルゲにあった荷札に名前と目的地などを書き込み、5ユーロを入れてザックに結び付けました。
「そこに書いてある電話のところに頼まないと取りに来てくれませんよ」
アルベルゲの若い女性スタッフが声をかけてくれました。小さなアルベルゲで、ほかにコモドの利用者はいそうにありませんでした。
「電話してくれますか」。その女性に頼みましたが、充電中のスマホを取り出して、「ダメなの」。「じゃ、これで電話して」。女性スタッフにわたしのスマホを渡して連絡してもらいました。もちろんスペイン語の会話でした。
終盤のガリシア州に入ってからの公営アルベルゲでは、WiFi通信を使うために認証を求められました。その認証のためのパスワードをSNSで受け取るには、スペイン国内で使える電話番号が必要でした。それも、わたしのSIMには付いていたので、これまでと同じようにネット通信を使用することができました。
WiFiが日本より普及しているスペインです。たいていの施設、アルベルゲ、バル、レストランで利用することができます。パスワードが必要ですが、スマホをかざして「?」と聞くと簡単に教えてくれます。
とはいえ、アルベルゲでは夕食後などに宿泊者が一斉に通信を始めると、回線速度が遅くなることがありました。フロントでは強力な電波も、ベッドではダメということもありました。
プリペイドSIMを使う値打ちは、こんな時に力を発揮してくれました。サリアを前にして足が痛くなりました。WiFi電波なんて飛んでいない道端に座り込んで、翌日は休養日にしようとインターネットのBookinng.comで2連泊の宿を予約しました。
この日のステージは、サアグーンの町の出口にあるサン・ベニーと門を横目にベルシアノス・デル・レアル・カミーノまで23.5kmほど。
少しづつ樹木が増えてきた。紅葉している木もあった。
途中から疲労蓄積のためか右足首が痛くなってきた。アルベルゲで、持っていた湿布薬を張った。
念願のソパ・デ・アホに舌鼓を打ちました。頼んだメニューには「ソパ・デ・カスティーリャ(カスティーリャのスープ)」となつてました。でも、これでした。
アホは、イタリア料理のアーリオと同じニンニクです。
古くなったパンをニンニクと煮こんだ伝統スープです。生ハムかチョリソーも沈んでいて、塩あじがアクセントです。
メニュー(巡礼定食)はたった10€ですが、ハーフボトルのワインもついてます。
パンも食べてます。
セグントも、プリメロからスパゲッティ・ボロネーゼです。安心していただけます。これくらいのボリュームがいいです。
デザートはヨーグルト。
ボトルはきっちりと空になってます。
昨夜、泊まったアルベルゲ、LosTemplariosの食堂は素晴らしかった!
ソパ・デ・アホのソパは蕎麦ではなくてスープ、アホはニンニクです。カステーリャ地方でポピュラーなスープです。
12日目に泊まったサン・ファン・デ・オルテガの修道院アルベルゲはペルグリーノにこれをふるまってくれることで有名でした。わたしもいただきましたが、古いパンがはいっているだけで、ニンニクのうま味があまり感じられない、ちょっと肩透かしの味でした。
ロス・テンプラリオスの私営アルベルゲには、きれいなレストランが併設されていました。メヌー・デル・ディア(日替わり定食)のメニューを見ると-と日本語ではなりますが、スペイン語ではMENU(メヌー)は定食のことです。そこにありましたソパ・デ・カステージャ(カステージャのスープ)が。
定食には普通はハーフボトルのワインが付いてきます。水やビールをセレクトすることもできます。赤ワインを飲んで待っていると、出てきました。オレンジ色がかったとろみがついたスープでした。古くなったボガティージョに使うような皮が厚くて硬いパンをニンニクが煮込んであるそうです。生ハムやチョリソーも沈んでいて、その塩味がアクセントになっています。念願のソパ・デ・アホに舌鼓を打ちました。
メニュー(巡礼定食)はたった10€でした。
定食はプリメロ・プラート(前菜)から1品、セグンド(主菜)から1品、これに飲み物、デザート、パンがついてきます。これでたったの10ユーロです。この日はセグンドにもプリメロからスパゲティ・ボロネーゼを選びました。こんな選択も可能で、自分の腹具合と相談することができます。
セグンドの1品は、ボリュームたっぷりのものが多いです。肉でも鳥でも2切れはついていて、ちょっと食傷気味でした。
とはいえ、スペインの料理は、ほとんどが口に合いました。毎日、20キロ、いやそれ以上も歩き、腹を空かせてテーブルに着きます。到着ビールのおいしかったこと。夕食は、キリリ冷やした赤ワインです。スペイン語でヴィーノと頼むと、きまってヴィーノ・ティント(赤ワイン)が出てきます。定食でヴィーノ・ブランコ(白ワイン)は別料金です。出発前は、白ばかり飲んでましたが、今はすっかり赤組に宗旨替えです。
パンも食べてます。
セグントも、プリメロからスパゲッティ・ボロネーゼです。安心していただけました。これくらいのボリュームがちょうど良かったです。
デザートはヨーグルトでした。
ボトルはきっちりと空になっていました。
この日のステージは、テラディージョス・デ・ロス・テンプラリオスまでの27kmほど。最初の17kmの間は、村もなく、延々と麦畑が続いていた。
少しづつ樹木は増えてきたが、カンカン照りに変わりはなかった。
夕飯は私営アルベルゲの食堂で。ここで食べたソパ・デ・アホ(ニンニク・スープ)はうまかった。
続きを読む Paso a paso Dos 18日目=9/11 17キロほど村もなく
ブルゴスから歩き始めたまやさんは、フロミスタからバスでスキップしてレオンに向かうつもりでした。ところが、「ここからはバスは出ていないよ」と告げられ、次のカリオン・デ・ロス・コンデスまで歩くことになりました。バスは正午前に出ると聞いて、20キロの道のりを自分のペースで歩く時間から逆算しました。わたしより1時間も早く、真っ暗な道を一人で歩き始めたそうです。「星がきれいだったですよ」と、早起きへのプレゼントもあったそうです。
カリオン・デ・ロス・コンデスの教会の前までやってくると、またまたばったりと出くわしました。膝の傷に最後のゲンタシン軟膏を塗ってもらい、記念撮影してまやさんが乗るレオン行きの高速バスを見送りました。
バス停留所は、町の入り口のバルの前にありました。バスがやってくると、それまでバルの中で休憩していたおじちゃん、おばちゃんたちがぞろぞろ出てきて、そのバスに乗り込みました。みんなわたしと同じペルグリーノでした。レオンまではバスで2時間ほどだそうです。わたしが歩いてそこに到着したのは4日後でした。こんなカミーノもあるのです。
ツアーとおぼしき一団とも出会いました。小型バスが追い抜いていきました。しばらく歩くと、見覚えのあるバスが路肩に止まっていて、バスから降りた一団が体をほぐす体操をしていました。軽いナップザックを肩に、この日のカミーノに出発でした。10キロほど歩くと、またそのバスが止まっていました。一団のきょうのゴールのようでした。景色のよい区間だけをつまみ食いでもするかのように進んでいるのです。これもまたカミーノでした。それぞれの行き方があります。
自転車で突っ走るペルグリーノも多かったです。どういうわけか、そろいのユニフォームを着たグループがほとんどでした。犬を連れて歩いているペルグリーノとも、何人も出会いました。わたしは出会いませんでしたが、騎馬や車いすのペルグリーノもいるそうです。
サンティアゴ・デ・コンポステーラまで徒歩では100キロ以上、自転車なら200キロ以上。これがコンポステーラ(巡礼証明書)をいただく条件です。
四国88ヵ所の区切り遍路のように、何回にも分けて巡礼を続けてサンティアゴ・デ・コンポステーラに到達する人もいます。
そんなことはどちらでもいいのです。それぞれのやり方で、それぞれの道を進めば、それがその人の巡礼、カミーノなのです。