交野市(かたのし)の交野山(こうのさん)のササユリが、ことしも満開でした。純白のもの。薄っすらピンクが交るもの。ピンクに染まるもの。それぞれが大きく花弁を開けていました。
昼飯は、久しぶりにメスティンで山パスタをつくりました。ツナ缶をいれ、三つ葉を添え、お茶漬けの素で味付けしました。ばっちりのお味に仕上がりました。こんなシーンで食べると、格別でした。
大きく開いた純白さんです。
まだ蕾もたくさんあります。
たった一輪でもその存在を誇示しています。
交野市(かたのし)の交野山(こうのさん)のササユリが、ことしも満開でした。純白のもの。薄っすらピンクが交るもの。ピンクに染まるもの。それぞれが大きく花弁を開けていました。
昼飯は、久しぶりにメスティンで山パスタをつくりました。ツナ缶をいれ、三つ葉を添え、お茶漬けの素で味付けしました。ばっちりのお味に仕上がりました。こんなシーンで食べると、格別でした。
大きく開いた純白さんです。
まだ蕾もたくさんあります。
たった一輪でもその存在を誇示しています。
平安時代の陰陽師、安倍晴明の旧跡を歩きました。
晴明神社は修学旅行生などの人気スポットとなっています。初めて参りました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」にも登場。ユースケ・サンタマリアが演じています。神前の肖像はちょっと雰囲気が異なります。
金輪(かなわ)井は、晴明の調伏の祈祷によって別れた妻に呪われていた夫が助かるという謡曲にもなっている舞台です。
晴明のこぢんまりとした墓は、嵯峨にありました。
熊野詣から始まったわたしの巡礼です。地図の黄色のルートを歩きました。
大阪・八軒家をスタートした熊野古道の紀伊路は和歌山から紀伊田辺まで南下。ここから中辺路となって熊野本宮大社に至りました。
もう一つのルートは、京都・八幡から始まる東高野街道を河内長野まで。高野街道を通って高野山に参りました。そこから山中の小辺路を抜けて本宮にも到達しました。
大峰奥駈道は、学生時代に吉野から釈迦ヶ岳まで縦走したことがあります。
紀伊路-中辺路
【熊野九十九王子を往く(紀伊路)】
2004/07/03 熊野九十九王子を往く その1 北浜~四天王寺
2014/04/20 熊野九十九王子を往く その2 四天王寺~鳳
2014/05/04 熊野九十九王子を往く その3 鳳~東佐野
2014/05/11 熊野九十九王子を往く その4 東佐野~紀伊
2014/06/15 熊野九十九王子を往く その5 紀伊~海南
2014/07/01 熊野九十九王子を往く その6 海南~紀伊宮原
2023/09/21 熊野九十九王子を往く その7 紀伊宮原~湯浅
2023/10/16 熊野九十九王子を往く その8 湯浅~紀伊内原
2023/10/17 熊野九十九王子を往く その9 紀伊内原~印南
2023/10/18 熊野九十九王子を往く その10 印南~切目
2024/05/25 熊野九十九王子を往く その11 切目~紀伊田辺
2024/05/26 熊野九十九王子を往く その12(完) 紀伊田辺~滝尻王子
2024/05/27 熊野九十九王子を往く その番外 土砂降りの熊野速玉大社
2014/04/06 語り部と歩く 滝尻王子~高原熊野神社
2014/05/18 語り部と歩く 高原熊野神社~牛馬童子口
2014/06/23 語り部と歩く 牛馬童子口~小広王子
2014/07/27 語り部と歩く 小広王子~発心門王子
2014/11/30 語り部と歩く 発心門王子~熊野本宮大社
世界遺産の2つの巡礼路、熊野古道とサンティアゴ・デ・コンポステーラ(カミーノ)巡礼路の両方を歩いた人は、「デュアル・ピルグリム」として認定されます。
【デュアル・ピルグリムを目指して】
2020/03/26 デュアル・ピルグリム 中辺路を歩く1日目
2020/03/26 デュアル・ピルグリム 「霧の郷たかはら」の1泊2食
2020/03/27 デュアル・ピルグリム 2日目は中辺路を20キロほど
2020/03/27 デュアル・ピルグリム 2泊目は湯の峰温泉
2020/03/28 デュアル・ピルグリム 念願の認定!
2020/03/28 デュアル・ピルグリム 3日目はゴールの熊野本宮大社まで
4枚のクレデンシャル(巡礼証明書)です。上は熊野古道、下はサンティアゴ巡礼路の3回です。
あちこちでいただいたスタンプ1個、1個に思い出が詰まっています。
Camino de Santiago 2023 index (ポルト/ポルトガル~)
Paso a paso Dos INDEX (サン・ジャン・ピエ・ド・ポー/フランス~)
Paso a paso 2013~INDEX (サリア/スペイン~)
小辺路
高野山から本宮大社に向かう小辺路は、伯母子岳や果無峠といった山や峠を越えて15-20キロを歩くハードな巡礼路でした。
「グレートトラバース2 日本二百名山ひと筆書」に挑戦中の田中陽希さんにばったりと同宿となりました。
【熊野古道・小辺路】
2015/11/07 熊野・小辺路(1) 紅葉の水ヶ峰越
2015/11/08 熊野・小辺路(2) 眺望ゼロの伯母子岳越
奈良・十津川村 「villaかんのがわ」で食べるスープカレー
2015/11/09 熊野・小辺路(3) 快調に三浦峠越
2015/11/10 熊野・小辺路(4) 果無峠を越えて、熊野詣
「四国霊場八十八ヶ所納経帳」の最初のページは1番札所ではなく、高野山です。八十八ヶ所を結願したあと、お礼参りしました。
【東高野街道】
2013/04/14 東高野街道を高野へ その1 京阪・八幡市~京阪・郡津
2013/04/20 東高野街道を高野へ その2 京阪・郡津~近鉄・石切
2013/04/27 東高野街道を高野へ その3 近鉄・石切から近鉄・古市
2013/05/05 東高野街道を高野へ その4 近鉄・古市~南海・河内長野
【西高野街道】
2013/05/13 西高野街道 高野山女人堂への里程石をたどる
【中高野街道】
2016/07/05 中高野街道を往く その1 守口~平野
【高野街道】
2014/03/15 高野街道を往く その1 河内長野~御幸辻
2014/03/22 高野街道を往く その2 御幸辻~極楽橋
2014/03/30 高野街道を往く その3 極楽橋~高野山奥の院
熊野那智大社に隣接して熊野山青岸渡寺があります。西国巡礼の1番札所です。
土砂降りの中、新宮にある熊野速玉大社に参りました。本宮大社、那智大社とともに熊野三山と呼ばれます。ここは初めての地でした。
「熊野九十九王子を往く」の3日目(27日)です。朝から天気予報通りの雨となりました。これを予想して中辺路の滝尻王子までの道を、2日間で歩き切っていました。予定が空いたので、紀伊田辺から新宮までやってきました。
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の夫婦神を主祭神としています。
雨の中、参拝客が次々と訪れていました。
背後には、神倉神社がある権現山などがそびえます。
絶壁の上の巨岩「ゴトビキ岩」を拝みに上がりたかったのですが、この雨では急階段を上るのは無理とあきらめました。
熊野御幸を重ねた歴代天皇(上皇、法皇)の名前が刻まれています。最多は後白河法上皇の32回でした。
ここも世界遺産です。
八咫烏(やたがらす)神社もありました。
熊野速玉大社
0735-22-2533
和歌山県新宮市新宮1番地
熊野古道の紀伊路は、紀伊田辺からそのまま海辺を熊野那智大社に向かう大辺路と、山に分け入り滝尻王子を経て熊野本宮大社を目指す中辺路に分かれます。
わたしの「熊野九十九王子を往く」は27日、12日(回)目にして紀伊田辺から滝尻王子までの最後の空白区間を埋めました。
1泊した紀伊田辺から24キロほど。口熊野の山道を、そして富田川にそった川辺の道を独り歩き切りました。
この日の前半には山道もありました。ただしこの区間を歩く人は多くないようです。古道に雑草が茂っていました。
後半は富田川に沿って遡りました。川沿いを国道が走ってますが、古道はそこから離れて川辺を縫うように続いていました。
滝尻王子にゴールしました。大方の人はここから中辺路をスタートさせます。
わたしも2度、ここから熊野本宮大社まで歩いたことがあります。
わたしの熊野詣の旅は、「熊野九十九王子を往く」のタイトルで綴ってきたました。「その1」は、なんと20年前の大阪・八軒屋(天満橋)近くにある窪津王子から始まっています。10年のブランクを経て天王寺から再スタートしました。それからでも10年がたっています。
中辺路の現代の出発地である滝尻王子まであと50キロを切ってました。そこから先の熊野本宮大社までは、ひと足先に2度、歩いています。
25日から2泊して、最後の空白を埋めるために歩きました。
昨秋、足が痛くなって歩行を中途で切り上げた切目(和歌山・印南町)から再スタートしました。
最初の中山王子は「足ノ宮」でした。道中の安全を祈願しました。
これまでの山中が多かった紀伊路からは一変、明るい太平洋沿いの道となりました。
大河ドラマ「光る君へ」にも登場する花山法皇の歌が刻まれていました。法皇もここを旅していました。
六甲山を歩きました。「山と飲み会」の仲間と一緒です。
六甲ケーブル下駅からアイスロードを登り、ビジターセンターでコーヒー・ブレーク。ケーブル上駅から油こぶしを通って下りました。
堡塁岩という岩壁の上から、絶景の神戸の町を見下ろしました。
アイスロードは昔、氷を六甲山上から神戸の町へ運んだ道だそうです。
油こぶしは、菜種油を運んだ際に油をこぼすほど急坂なので油こぼしと呼ばれ、いつしか油こぶしと訛ったそうです。
下界に戻ると3軒をはしご。イタ飯屋では、ボトル3本を空けました。歩いているより、飲んでいる方が長い、いつもの楽しい集まりでした。
ベニバナヤマシャクヤク(紅花山芍薬)が咲いているとの情報で、みのお記念の森に出かけました。鉢伏山など4つのピークを巡りました。
お目あてのベニヤマシャクは、開ききった1輪だけがわたしを待っていてくれてました。
真っ白なヤマシャクヤクに対して、こちらは花弁がピンクです。ちょっと小ぶりで、開花時期も遅いです。白いベニヤマシャク(形容矛盾!!)は、京都・雲ケ畑で見たことがあります。ピンクに出会えてよかったです。
短命の花として知られ、花の命は3~4日ほどだそうです。
スラリと伸びた茎の先に咲きます。
他に咲いていないかと探していると、ピンクの花弁を見つけました。散ったばかりのようです。
茎の先は花弁が散り、雌しべが膨らんでいました。
ポンポン山に登りました。お目当ては、西山巡礼古道上の窪地にあるクリンソウ(九輪草)の群生地です。
見事に咲いていました。まだ咲き初めで、九輪の一番上だけというのが多いです。
細くて長い茎の先で、ピンクの花を可憐に開けていました。
花の数が多くて美しかった本日のミス・クリンソウです。
こちらは2輪になりつつあります。
イトトンボでしょうか。翅を休めていました。
スギの植林地の水が流れ込む湿地です。
日本百名山、荒島岳の前衛峰にあたる小荒島岳です。それでも1186mもあります。
向こうに深田久弥が幼いころから愛した荒島岳がドーンとそびえていました。でも高さで500mは急坂を登る先でした。現在のわたしの体力からすると、この辺りで留めておくのが賢明かと判断。仲間に迷惑をかけることなく、わたしだけはここでピストンとしました。
仲間3人は頂上を踏破しました。若干の心残りはありましたが、久しぶりの1000m峰と咲き乱れる高原の花々に大満足でした。
ニリンソウ(二輪草)が見事でした。山道の両脇に、これほどに咲き乱れているのは初めてでした。
ヤマブキでしょうか。咲き乱れていました。
小荒島岳からも雪を残した白山が、堂々とそびえていました。